カテゴリー別アーカイブ: コラム

柴門ふみの「結婚」にまつわるコラムが刺さった

雑誌PENの2017.4.15号のテーマが「いまこそ結婚の話をしよう。」というものだった。

その中で、何人かの著名人による記事が掲載されていたが、その中で、『東京ラブストーリー』などのマンガの作者としてお馴染みの、柴門ふみさんの記事が刺さったので、紹介する。

まず彼女は、「夫婦とは、相手に理想を押し付けては勝手に失望する関係」だと云う。
“勝手に”失望、というところにいたく共感。
続きを読む

舛添都知事ら政治家の体たらくぶりはどこから来るのか

本日のダイヤモンド・オンラインに掲載されている松井雅博氏のコラム『舛添都知事ら大物政治家ほど「せこい」事件を起こす理由』が、タイムリーかつわかりやすく内容だった。

ある程度の良識ある人だったら、なぜ都知事ともあろう人がこんなくだらない事をしでかすのか。
そして、マスコミもなぜこんなくだらない事を騒ぎ立てるのか、と思うだろう。

しかし、まず何が問題で、何が原因なのかを知るべきである。
続きを読む

無自覚な価値観

日経ビジネスオンライン『なでしこ報道で露呈した“ニッポン”の未熟な女性観』より。

価値観には、自覚されているものと、自覚されていないものがある。自覚されている価値観とは、自らの経験を通じて形成されて、無自覚な価値観は、社会に既存の価値観であることが多い。

 
親の考え、子供の時によく見たテレビや雑誌に描かれていたこと、周りの人がよく言っていたこと。そういったものが、自分でも気がつかないうちに、あたかも自分の考えのように刻まれていく。

この考え方はよくわかる。

何気ない一言や、何気ない行動には、自分が自覚していない価値観が反映される。そして、その自覚なき価値観が、時に、“刃”となって、他人を傷つける。

ここで、ん?と思う。
無自覚な価値観で”傷つく”のは同じ価値観を持っているからではないだろうか。

無自覚な価値観が共有されていないのならば、”傷つく”のではなく”理解されない”のではないだろうか。

傷つけているのは、”無自覚”だからではなく、デリカシーがなかったり、想像力が欠如しているだけだと思う。まあ、その点が大きな問題なんだろうけど。

強く幼い女性アスリートが好まれる日本

小田嶋隆氏がweb sportivaでも記事を書いていたことを知った。
「なでしこ」という可憐な花の愛で方』より

小倉さんの真骨頂は、どんな偉大なアスリートに対しても、そこいらへんのOLさんや女子大生に接する時みたいな調子で話しかける、その距離感にある。

 
司会者のこの態度は、ハタから見ていると、ちょっと失礼に見えたりもする。

 
「女性蔑視じゃないか」

 
という受け止め方をする視聴者もいる。

 
が、おそらく当事者は、蔑視とも軽視とも感じていない。むしろ、「普通の女の子」として扱われたことに救われた気持ちをいだいている可能性が高い。

 
ここに、面倒くささの本質がある。

 
結局、うちの国の人たちは、メディアも視聴者も、それに選手たち本人も、大人になることに対してあまり積極的じゃないのだ。

日本の女性アスリートは、心のどこかで可愛らしい女の子であることを捨てきれずにいる。だから、真央ちゃんなどは、自分で自分を「真央」と呼んでいたりする。

 
普通の文脈で言うと、人として自立していないアスリートが世界に伍して闘えるはずはない。そういうことになっている。

 
藍ちゃんだったり、ミキティーだったりみたいなクソ甘ったれた名前で呼ばれている選手が、国際舞台で活躍できるほどスポーツの世界は甘くないのだ……と、ぜひ言い切りたいところなのだが、どっこいわが日本の女性アスリートは、強い。

 
小さくて、可愛らしいにもかかわらず、だ。

 
さよう。日本の女性アスリートは、デカく、ふてぶてしく、たくましい、諸外国の女性アスリートを度々凌駕している。

 
そして、デカくなろうと頑張っている日本の男性アスリートよりも、国際舞台では、より優秀な成績を残している。

 
なでしこのイレブンも、チーム青森の面々も、グリーンの上の彼女たちも、二倍ぐらい体重のありそうな外国のデカくてコワいおばちゃんたちに、決して負けていない。

そう言われてみると、日本では、強く幼い(雰囲気の)女性アスリートがもてはやされている。
なぜだろう。強く大人なアスリートだと、劣等感を感じてしまうからだろうか。