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強く幼い女性アスリートが好まれる日本

小田嶋隆氏がweb sportivaでも記事を書いていたことを知った。
「なでしこ」という可憐な花の愛で方』より

小倉さんの真骨頂は、どんな偉大なアスリートに対しても、そこいらへんのOLさんや女子大生に接する時みたいな調子で話しかける、その距離感にある。

 
司会者のこの態度は、ハタから見ていると、ちょっと失礼に見えたりもする。

 
「女性蔑視じゃないか」

 
という受け止め方をする視聴者もいる。

 
が、おそらく当事者は、蔑視とも軽視とも感じていない。むしろ、「普通の女の子」として扱われたことに救われた気持ちをいだいている可能性が高い。

 
ここに、面倒くささの本質がある。

 
結局、うちの国の人たちは、メディアも視聴者も、それに選手たち本人も、大人になることに対してあまり積極的じゃないのだ。

日本の女性アスリートは、心のどこかで可愛らしい女の子であることを捨てきれずにいる。だから、真央ちゃんなどは、自分で自分を「真央」と呼んでいたりする。

 
普通の文脈で言うと、人として自立していないアスリートが世界に伍して闘えるはずはない。そういうことになっている。

 
藍ちゃんだったり、ミキティーだったりみたいなクソ甘ったれた名前で呼ばれている選手が、国際舞台で活躍できるほどスポーツの世界は甘くないのだ……と、ぜひ言い切りたいところなのだが、どっこいわが日本の女性アスリートは、強い。

 
小さくて、可愛らしいにもかかわらず、だ。

 
さよう。日本の女性アスリートは、デカく、ふてぶてしく、たくましい、諸外国の女性アスリートを度々凌駕している。

 
そして、デカくなろうと頑張っている日本の男性アスリートよりも、国際舞台では、より優秀な成績を残している。

 
なでしこのイレブンも、チーム青森の面々も、グリーンの上の彼女たちも、二倍ぐらい体重のありそうな外国のデカくてコワいおばちゃんたちに、決して負けていない。

そう言われてみると、日本では、強く幼い(雰囲気の)女性アスリートがもてはやされている。
なぜだろう。強く大人なアスリートだと、劣等感を感じてしまうからだろうか。

自ら落ちない限り変わらないテレビ業界

日経ビジネスオンラインで愛読している小田嶋隆氏のコラム『なでしこに群がったテレビの人たちの明日』より

結局、「笑い」も「涙」も、伝染性の動作という意味では「あくび」と大差がない、と、少なくともディレクターはそう考えている。

 
ゴールデンの視聴者が笑うのは「ほかの誰かが笑っている」からだ。泣く理由も同じ。8割はもらい泣きだ。笑い、涙、元気、勇気。視聴者は、画面からもらうことばかり考えている。

 
感情の物乞い。うん。言い過ぎた。撤回する。善良な観客。

無意識に”もらうことばかり”しているのは確か。
ただ、正当な権利があるからね。

私が書いているようなことは、実は、現場で番組を作っている人々にとっては、口に出すのも馬鹿くさいレベルの、先刻承知の退廃であって、少しも目新しい指摘ではないのだと思う。

 
彼らとて、事態がわかっていないわけではない。
でも、どうしようもないのだ。
何かを変えるためには、自分が座っている木の枝を切り落とすみたいなタイプの決断が要る。

テレビ業界を変えるためには、自らも落ちないといけないってこと。

消費者の一歩先を行くモノ作りが求められている

日経ビジネスオンライン『「消費者の声を聞く」というモノ作りのウソ』より。

消費者の声ばかり聞いていては、その時点での消費者が欲するモノしかできない。仮に消費者のニーズを知っても、そのニーズを商品の形にするには、 かなりの時間を要する。

 
商品が完成して市場に出回るころには、消費者のニーズは先に進んで変化してしまって、その商品はもう欲しくはない。つまり、消費者が欲しいといった時点でのニーズは、過去のニーズにすぎない。消費者の言うことをうのみにしてモノを作っても、消費者と同じレベルでは振り向いてはくれない。

 
大事なのは、消費者の一歩先を行くモノ作り。

ネットサービスの場合、形にするまでの時間が短いから、リアルなモノ作りとは時間感覚が少しズレるだろうが、基本的な考えは同じのはず。